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zoom RSS 『かがり火百万石』 河村恵利

<<   作成日時 : 2004/09/30 09:08   >>

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全編前田家、それも前田利長ものが多いです。。

「かがり火百万石」 

父を亡くし、母の再嫁により親類の前田家に預けられた於松は、長男の利久の妻・納夜に懐いてます。成長した於松は四男の利家に嫁ぎ、子供たちの母となりますが、相変わらず納夜とは親しく行き来しています。
やがて、紆余曲折を経て、織田信長は、利久を退け、利家に荒子城主を継がせるよう命じました・・。
祢々(北政所)は初登場ですね。ところで、前田利久の妻って、どんな人だったのか、全く知らないのでした・・(汗)


「夜半の嵐」 

織田信長の四女・永姫は、7歳で前田孫四郎(利長・19歳)に嫁ぎます。
そこで永姫を待っていたのは、小姑たち、お麻阿をはじめとする孫四郎の妹たちでした。おとなしい永姫は、お麻阿たちにやられっぱなしになってしまいます。
で、やがては永姫も、お麻阿と対等に喧嘩できるようになる、という成長物語・・なんでしょうか(笑)


「波振り」 

前田孫四郎は、北政所のところで茶々に出会います。茶々は、孫四郎の妻・永姫とは従姉妹の間柄で、孫四郎は茶々を見た時、懐かしい思いがしました。
年ごろからいっても、孫四郎には永姫よりもむしろ茶々がふさわしく、縁談が起こりかけたこともあったようです。
ある日、茶々の乳母が孫四郎を訪ね、茶々を側室に迎えてくれるよう、頼みます。茶々は、秀吉の側室に召されるところでした。
これ、孫四郎は茶々になびいていない・・んですよね?(^_^;)


「花の香籠め」 

太閤亡き後、天下を狙う徳川家康を、前田利家は警戒しますが、息子の孫四郎は、和議を説きます。孫四郎は、これほど豊臣家のことを思う利家が、何故賤ヶ岳の戦いで秀吉に敵対したのかが理解できません。
病篤くなった利家は、家康暗殺計画を練りますが、孫四郎は間一髪で阻止します(う〜ん、ネタバレ?(汗))
しかし、家康は、利家亡き後の前田家に、次々と無理難題をふっかけます。
いちおう、「波振り」が伏線になっている?
ところで、利家は賤ヶ岳で本当はどうしたかったのでしょう?(^_^;)


前田孫四郎の弟・又若は、隣の屋敷の蒲生氏郷の娘・お籍と仲良くなります。孫四郎は、この二人の縁組みにはやや難色を示していましたが、二人は太閤秀吉の命で、夫婦となることが決まります。
やがて秀吉が没し、又若(と孫四郎)の父・前田利家の病が重くなったとき、又若は利家にあることを打ち明けられます・・。
お籍は「花散る里」 (五徳春秋)の蒲生氏郷とお冬の娘なんですね。
いやしかし、あちこち親戚ばかり・・(巻末系図は良かった・・)

(時代ロマンシリーズ10 秋田書店)

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賤ヶ岳の戦い
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