気ままな読書日記

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zoom RSS ○『御宿かわせみ』と貴種流離譚

<<   作成日時 : 2005/01/19 21:26   >>

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ドラマ化されたときに書いたものである。

 「橋之助・御宿かわせみ」、公式サイトの割に非難轟々だったので、驚いた(感心した・・おい)
 第1シリーズの「かわせみ」のドラマ化について、どこに問題があるのか、ちょっと考えてみた。私としては、ビジュアルにケチをつけるのは遠慮したいし、演技力についてもまあ置いておくとして(汗)
(ってゆーか、この人「毛利元就」やら「吉田松陰」の時は、違和感なかったのだけど・・それから、「髪結い伊三次」もヘンではない)

 時代小説・時代劇でよくあるパターンに、「貴種流離もの」がある。簡単にいうと、身分ある者が世が世なら・・という栄誉に背を向け、市井に暮らすものである。「若さま侍」(城昌幸)とか「桃太郎侍」(山手樹一郎)など、枚挙に暇がないであろう。「遠山の金さん」ものとかも含めて良いかも知れない。割に最近NHKでドラマ化された「はんなり菊太郎」原作の「公事宿事件書留帳」(澤田ふじ子)もそうである。時代劇について、このような設定のイメージを持っている人も多いことだろう。

 一方、「御宿かわせみ」はそれらと趣を異にしている。神林東吾は、エライ人の御落胤でもなく、後継ぎを弟に譲った兄でもなく、あるいは冷や飯食いの3男坊でもない。彼は、吟味方与力の兄・通之進のれっきとした後継ぎ(番組開始時点の設定では)なのである。東吾も決してそれを放棄するわけもなく、できるわけもない。その立場を放棄したら、あまりに無責任であろう。よって、同心の娘のるいとは身分が違い、添い遂げることはできない(はず)。もちろん、畝源三郎とも身分が違う。嘉助や長助は、言うに及ばずである。東吾は、たとえ彼らと分け隔てなく付き合ったとしても、そこにある立場の違いが解消されるわけではない。

 俳優かスタッフか、勘違いしているところがあるとすればその点であろう。東吾が、吉右衛門の「鬼平」か、勘九郎の「忠臣蔵」(?)のイメージで作られているように見えるが、外している(おい)。東吾を「市井に暮らす本当なら身分のある人」くらいの感覚でドラマを作ったのが、原作から入った視聴者の違和感の大きな原因かと思う。

(しかしながら、続編放映時のスタッフのコメントから察するに、よほど恐ろしく非難がきたのであろうなあ)

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